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このプロジェクトに、たくさんのコメントをいただきました。

五十音順に掲載

幼少期、自宅から徒歩5分の場所に「ステーションキネマ」という映画館があったんです。父に連れられてよく行きました。ガメラシリーズが大好きでしたが一番忘れられないのは四谷怪談、怖かったですね。
「ステーションキネマ」はもうないし、父も亡くなったけど、いつも映画館は遊び場で、今は大人の社交場で、マニアックな映画を見に行くと、決まって誰かに出会うんですよね。じゃまた、映画館でお会いしましょう!

アリスセイラー(アーティスト)

元町映画館さんで映画「1人のダンス」を公開して貰い、1週間神戸に滞在しました。客足は厳しく何とか拡めようと映画館の方と共に奮闘しました。公開最終日、街の人が集まってくれて席がやっと8割程度埋まりました。支配人や映画館の方は共に喜んでくれて、一緒に1週間舞台挨拶に付き合ってくれた元町映画館の石田さんは隣で涙ぐんでました。心の中でずっと残ってます。自分が見た景色は宝物です。
守りたいです映画館を。色んな映画館で人それぞれの思い出が生まれてきたはずです。これからも自分も映画を映画館でかけ続けたいです。

安楽涼(映画監督)

2017年、予期せぬ帰省で心が孤立していた時、救ってくれたのは地元関西のミニシアターでした。毎日心の居場所がなくて彷徨っていた時に、自然と足を運んでいた映画館。
大好きな映画『さよならもできない』を再見した第七藝術劇場さん、CO2の8mmワークショップでお世話になった神戸映画資料館さん、手塚眞監督の特集上映をさせていただいた元町映画館さん。元町映画館でかかっていたラヴ・ディアス監督の『立ち去った女』で年明け映画初め出来たことは最高でした。移転前の旧京都みなみ会館では『月夜釜合戦』に熱くなり、真夏のシネ・ヌーヴォで観たビーガン監督の『凱里ブルース』の衝撃は忘れられません。映画とそこに携わる方々と触れ合っていく中で心が徐々に回復していったことを覚えています。
そうして自分ももう一度映画を撮ろうと思い立ち、出来上がったのが『愛讃讃』です。
ミニシアター無くして、今の自分はありません。ここで映画を見て、映画を作り、今の自分があります。
そんな大切な文化の場が今、危機に立たされている。一人ができることは微力かもしれませんが、何もしないまま大切な心の場が消えることだけは避けたい。国からの支援を待っていると手遅れになってしまう。早速私もTシャツを買わせていただきました。このTシャツを着て映画を観に行ける日を楽しみにしています。
この事態が早く収束することを願うとともに、どうかここから支援の輪が広がっていきますように。

池添俊(映像作家)

人生の節目節目に映画との出会いがあった。大きな決断をするときも、小さな悩みを抱えたときも、僕は街中の映画館にいて、スクリーンに映る人間模様を見つめた。暗がりの中で多くを学び、明かりがついたあと、劇場スタッフの笑顔に癒された。その映画館がピンチを迎えている。恩返しのときが来た。今度は僕らが手をつないで、映画を、そして映画館を守ろう。

池谷薫(映画監督)

映画館の暗闇に国境はなく、人種や言葉の壁もない。世界の街でひっそり守られるその闇は、私たち映画国民にとって、未知の友人やできごと、未知の叡智に出会えるオアシスであり、不安や迷いや飢餓や絶望の心を抱きしめてくれるシェルターである。デジタル情報の集積に過ぎない一塊が(セルロイド化合物の一塊が)、人の魂を捕らえて活き活きしたホンモノの創造物として蘇生できるのは、この暗闇遺産の中、北極星や月や太陽のような光源が純白無垢な巨大キャンパスに拡大照射され展開される貴重な臨場体験があってこその事。映画国民は、故郷であり、約束の地そのものでもある「ここ」を、失ってはならない。

“Save our local cinemas”
いつもありがとうございます。強く支援致します。

石井岳龍(映画監督)

危機を乗り越えるために自ら行動を起こすことは本当に大切なことだと思います。
ミニシアターの存続を心から願います!

石橋義正(映像作家・演出家)

18のとき、はじめてシネ・ヌーヴォにいきました。見た映画はスタン・ブラッケージ監督作の「Dog Star Man」。80分ちかくのサイレント映画で、暗い劇場内では見ず知らずの人たちが体勢を変える音や固唾を飲む音がありありと聞こえて、自分がたてる音も、もしかしたら呼吸や心臓の音も聞かれちゃうんじゃないかと、終始緊張しながらスクリーンを見上げた体験は鮮烈です。見えないにもかかわらず確かな人の存在を感じ続けていたというか…。こういう体験をさせてくれる場所はなきゃいけない、あのとき劇場にいた人たちもそう思うんじゃないだろうかと想像しながら書いています。
応援します。またいきます。

板倉善之(映画監督)

初めて自主製作した映画の上映を通して、全国各地にある小さな映画館の
“映画が好きだ”という熱い気持ちと“素敵な映画を届けるぞ”という心意気を知った。
その気持ちは私も負けない。だから応援します。

井手洋子(映画監督)

映画館の暗闇で体験する映画は「この世界にもオマエの居場所はある」と教えてくれた。ビデオテープやDVDではなく、それは「映画館のスクリーン」でなければならなかった。多くの作り手達はそんな、どこかにいるであろう「かつての自分」に向けて、飽かずに作品を作り続けているはずだ。生き辛さを抱える誰かがこれから映画と出会うチャンスを潰さないために。映画作りをやめられない作り手達のために。
私はSave our local Cinemasプロジェクトを応援します。

伊藤有紀(『まちや紳士録』『人情噺の福団治』監督)

映画上映を通じて、いつも観客の皆さまと繋いでいる
「コミュティシネマ」の方々と映画製作者は同じ思いです。

かつてない危機に直面していますが、
ピンチの最中の今こそ粛々と
“次回作”の準備と製作を続けようと考えています。

さまざまな方法を駆使して、映画上映の場を護り、
生かして行くことに共に立ち向かいたいと
熱い連帯と連携の思いを伝えたいと思います。

稲塚秀孝(『奇跡の子どもたち』『ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者』監督)

5年前、京都に住む友人の脚本家が55歳の若さで死んで、残された老猫を誰か貰ってくれないかと聞いて回った。そんな都合よく誰か現れるワケもなく、困り果てていたら、京都みなみ会館の吉田さんが「いいですよ、劇場猫で良かったら、ウチでも」と言ってくれた。その吉田さんが危機だという。いや、吉田さんだけじゃない。この国の映画館全部が危機なのだ。映画は人に観てもらって、はじめて完成する。というのは、よく言われることだが、そういう意味で映画館がなければ映画は完成しない。映画館は映画とお客さんの架け橋、映画という表現の最前線なのだ。その映画館の危機に何かやらねばと、映画人たちでようやく#SaveTheCinemaというプロジェクトを始めた。が、我々の動きよりもっと早く関西では映画館自らの手で #SaveOurLocalCinema というプロジェクトが立ち上がっていた。本当にやることが遅くて、すみません。 そこで売り出されたTシャツがまたいい。コロナ禍が終わった暁には、関西だけでなく、全国の映画館がこのTシャツを着た人で溢れることを夢見て、僕にも一枚お願いします。もっかの悩みは、緊急事態宣言で家にばかりいて、サイズがLからXLになったら、どうしようということ。すみません、お気楽な悩みで。皆さんも是非!

井上淳一(映画監督/脚本家)

映画館という文化の炎が消える危機 一度消えた炎に火を灯す事は非常に困難です 小さくなった炎を守るため 映画人を中心にみんなで壁を作ろうとしています 人々の心の復興には文化の力が必ず必要となります 応援してくれる人を募っています

井上雅貴(映画監督)

「ここの映画館はちっさいけど、ええ映画上映してくれんのよ」
私が関西のミニシアターに来る観客と話した時によく聞かれる「声」でした。

日本、世界の個性的で魅力のある映画を発信してくれる関西のミニシアターがありつづけるよう、そして映画館に来る人達の物語がこれからも続きますよう是非とも応援お願いします。

今井いおり(映画監督)

全国のミニシアターと映画文化を支えるための、あらゆる支援に連帯を表明します。
『SRサイタマノラッパー』上映時に温かく迎えてくださった各地の映画館スタッフさん、
映画愛に溢れたその豊かな顔を思い出しながら、このTシャツを着たいと思います。
また健やかに、いつもの映画館で再会できる日を心待ちにしながら。

入江悠(映画監督)

僕は7年半の間、1本のアニメーション映画を作り続けていました。
7年半諦めずに続けてこれたのは、全国にあるミニシアターの存在でした。
全国各地の映画館で自分の映画が上映されることを、その舞台に立つことを夢想して2020年!ついに映画が完成!その夢が現実に!!!
なりかけました……
……が、僕はまだ全てのミニシアターを訪れることができていません。
今回お世話になった映画館の方々には次回作を持ってまた訪れる約束もしました。
次回作はとんでもなくヤバい映画を(3年以内には!)作ろうとしていますが……
映画館がなくなったら作りませんからね!!!

岩井澤健治(アニメーション映画『音楽』監督)

小さい頃、両親が揃って遊びに連れていってくれる場所といえば決まって映画館でした。スクリーンの中で巻き起こる現実離れした出来事や、買ってもらえるポップコーンにワクワクしていたことを今でも鮮明に覚えています。
高校生になると、新しい映画や監督を見つけるのが楽しくて仕方がなくて、必死に背伸びをしながらミニシアターへ通っていました。物事の見方が多様であることを、映画を観る度に教えてもらった気がします。
大人になって、小さいけれど映画を撮れるようになった。知名度も予算もなく、技術だってまだまだな僕を受け入れてくれたのはミニシアターでした。いつだって笑顔で受け入れてくれて、一緒にどうやってお客さんに届けるかをまるで家族のように考えてくれました。

あの映画館はこの映画を上映しそうだな。この映画館のロビーはこんな匂いがするよな。あの映画館だとこの辺りの席が見やすいよな…。この映画を持っていったらあそこの支配人はなんて言うかな…。
どの映画館にもその映画館なりの個性があり、映画館の名前を聞くたび鮮明にそんなそれぞれのイメージが浮かんできます。

僕は、何よりもワクワクさせてくれた場所を、学校以上にいろんなことを教えてくれた場所を、家族のように居場所を作ってくれた場所を一つだって失いたくないです。

もし良ければ、ご賛同いただけたら幸いです。

宇賀那健一(映画監督)

ハガキに描いた絵を動かして、撮影して、約10年。ここまで好き勝手に映画を作って生きてこられたのは、京都みなみ会館さん、神戸元町映画館さんをはじめ、関西にたくさんの素敵なミニシアターがあったことと、そこに集まる人たちがいてくださったからです。映画の上映を通じて舞台に立たせていただいたり、いろんな方とお話しをさせてもらったり、変なイベントを開催させてもらったりと、楽しい時間をなんどもなんども経験させていただきました。
先行きの見えない大変な事態ですが、この時代をなんとかみんなで乗り越えて、関西の劇場がさらに素敵な場所へと生まれ変わっていくことを信じております!!

宇治茶(劇メーション監督)

ミニシアターにはたくさん助けられてきました。
特に仕事で落ち込んだ時にはミニシアターに行き名画や名優を観て勉強したり、封切りだって「今、これだけの映画が作れるんだ!?」と沢山の志高い作品に勇気をもらいました。
誰にとってもミニシアターには特別の想いがあるのではないでしょうか?
今度は僕らが助ける番だと思います。
お願いします。
だってミニシアターなくなっちゃったら、嫌じゃん。

柄本佑(俳優)

昨年、わたしたちは映画『タリナイ』を上映してくださった京阪神の劇場を回りました。
雪が舞う中、満員のお客さんに暖をとってもらった大阪シアターセブン、
アフタートークをさせていただいた京都シネマ、
映画ファンで設立・運営し、地域に愛されて今年10周年を迎える元町映画館。

ひとりでも多くの方に届けようと支えてくださった劇場スタッフの方々、
劇場へ足を運んでくださった観客の方々に、
新作を携えて再会できる日を心から願っています。

10年前、わたしたちはミニシアターで一緒に映画を観て、語らえる休日を愛した学生でした。
いま、そんな機会と時間が奪われていることは、
想像以上に多くのものを失ってしまうと危惧しています。
映画館に育てられている一観客として、一作り手として、
複数館の劇場を応援できる本プロジェクトの広がりを、心から応援します。

大川史織(映画『タリナイ』監督)

藤岡みなみ(映画『タリナイ』プロデューサー)

関西の愛する地域の映画館がなければ
私は活動写真弁士になっていなかったでしょう。
いくつもの知らない世界の扉を開ける事もなかったでしょう。
私の夢を叶え、人生を変えてくれた大切な大切な場所です。
どうか晴れて満席の映画館で愛する映画を楽しめるその日が来るまで
みんなで映画館を守りましょう!

大森くみこ(活動写真弁士)

 今日はこの映画を観よう。劇場に着けば、特に話をするわけではないけれど、顔見知りで挨拶する人たち。あのひと来てるな、あのひとは来てないな。暗闇のなか、同じスクリーンを見つめる。ひとつの映画を観て、その余韻冷めやらぬまま劇場の扉から外に出る。外の世界は眩しくて、じぶんが異世界にトリップしていたことを知る。駅に向かって歩く中、まだ映画に浸りながら、目の前に見えるものが少し違うように感じる。
 住んでいる町に、近くの町に映画館がある。あの映画館がなくなればどうなるだろう。考えるだけで胸が締めつけられるような気がする。映画はその鑑賞空間を含めた芸術や娯楽としてあってほしい。そうあってもらえるように映画にたずさわりたい。
 政府がチンタラしている間に、映画館が閉まってしまう。1ヶ月でも2ヶ月でも長く映画館が続くように、いち観客として、いち作り手として、己一人にできることは少ないが、やれることをやりたい。 

小田香(映画作家)

はじめまして片山享と申します。
関西では、神戸元町映画館さん、大阪シアターセブンさんにお世話になりました。
映画はお客さんにスクリーンで観ていただいて初めて完成します。
映画館がなければ映画は映画ではなくなってしまいます。
だから映画館には感謝しかありません。
しかしながら、映画なんてなくなっても何も変わらないかもしれない。
でも、困る人がたくさんいるんです。
だから、映画館はなくてはならないのです。
映画館を救うとかでなくてもいいんです、一緒に映画を観る環境を守ってやってください。
だって映画観たいじゃないですか!

片山享(『轟音』監督)

映画館は、誰もが一つの、
そして一つ以上の思い出を持っている
かけがえのない場所です。

小さい頃に両親と夏休みに、付き合い始めの恋人と手を繋ぎながら、就活に疲れた夜に、大人になった証のレイトショーで。
そういった数々のふとした瞬間、
私の、私たちの生活には、いつもすぐ側に
映画と映画館がいてくれました。

私たちは、ご飯を毎日食べます。
一日に三食の人も、二食の人も、一食の人もいるかもしれません。
いずれにしても私たちは、ご飯を食べないと生きていけません。

映画などの文化は、ご飯と違って、生きていく上で必要不可欠ではないかもしれません。

けれど私は、生きていく上で一番大事なことは"気持ち"だと、ずっとずっと思っています。

"気持ち"が元気なら、前を向いて、上を見上げて、今日も明日も頑張れる。

そんな元気を与えてくれるのが
映画と、映画館だと思うのです。

どうかこれからもそばに映画と映画館を感じ続けられますように。

そしてたくさんの人が、映画を観て、
今日も明日も頑張ろうと思えますように。

葛里華(映画監督/編集者)

映画館は映画を観に行く場所。当たり前のこと。けれど私にとってはただいまを言いに行く場所でもあるのです。
今回の被害でおかえりと迎えてくれる場所の光が一つとしてなくなることがないように。どうかご支援お願いいたします。

加藤綾佳(映画監督)

わたしの活動をいつも暖かくサポートしてくださる大切な映画館。そして、映画ファンの皆様のかけがえのない場所が
また、たくさんの笑顔で溢れる日を信じています。皆さんとその未来を勝ち取りたいです。

かとうさおり(NINE STORIES)

私は東京出身の監督ですが、各地のミニシアターを転々としながら鬱々した青春時代を過ごし、鋭角鋭敏な作品セレクトに救われ、人生を形成されたと言っても過言ではありません。2014年に初めて、自作の映画興行として関西に舞台挨拶をさせて頂いたときの感慨深さというのは言葉にできないものでした。まだ右左もわからない無名映画監督を暖かく迎えてくれた上に、名スポットを案内、名産をごちそう頂き、はたまた、事務所に宿泊もさせてくださいました(立誠シネマの事務所だったなあ、田中さんありがとうございます)そして、なにより、館主の方が面と向かって作品の感想や今後の方針について真剣にアドバイスしてくださるのです。自分の作品が世の中に発表されている、という自覚が芽生えたのは、そう、各地の映画館の皆さまと交流したことがとても大きいと今でも思うのです。若手の映画監督にとって、これほど、心の支え、そして、自分が世の中と闘う覚悟を共有、共闘してくださる人達はいない、そう思っている人たちはたくさんいるはずです。
先日、私も新作「うたのはじまり」の宣伝キャンペーンで関西宣伝の松村さんとシネ・ヌ―ヴォを訪れた際に、次回の舞台挨拶で一緒に美味しいお好み焼きを食べる約束をシネ・ヌーヴォの支配人・山崎さんとしたばかりでありました。その後、数週間もしないうちに、コロナの影響は広がっていき、都内、関西圏での外出自粛が発表され、挨拶の延期を余儀なくされたのです。
あの、映画が生まれる奇跡の瞬間と同じような、あの、映画館と触れ合う大切な時間が、空間が、一瞬として緊迫した時間となってしまった。 私は映画作品(今はドキュメンタリーと呼ばれていますが)そうした作品を発表するときに、なにより大事にしてきたのは人との関わりです。 私は、自分のことを正しい人間だと思うことは少ないけれど、作品や、自分に信頼をおいて話をしてくださる人にだけは誠実でいようといつも思っています。だからお世話になった映画館の皆さまの困窮している姿にはどうしても耐えられません。
東日本大震災の時、学んだことがあると思います。繰り返してはいけないと思います。いま、世の中の困難な状況下のなかで苦しむ、小さい声に耳をかたむけなければならないこと。そうした事にいま私は作品で常に向き合ってもいるからこそ、目を背けられない、ミニシアターの現状。忘れないで。

現場の、そうした人たちの、葛藤や不安。感染可能性もありながら、お客様が一人であろうとも、映画を上映することに、命を懸けていると言っていいと思う人たちの小さな心の声。

矛盾を抱えながら、毎日生きている人たち。
そうした気持ち、どんな境遇を抱えながらも今を生きなければいけない、たくさんの人たちの気持ちに想像力をかたむけなければならないと思う時代。

関西のミニシアターの皆さまにお世話になった自作「ほんとうのうた」や「兵士A」、そして現在お世話になっている作品「うたのはじまり」も、こうした状況がある中で小さな小さな声たちに耳をかたむけて、向き合ってきた人たちと対峙してきた作品です。

そうした人たちの声や現実を、決して大きな力や動きで忘れ去られてしまうことはあってはならないと思う。表現はきっと救える、まだ。

河合宏樹(『うたのはじまり』監督)

映画のために何か力になれないか……と思われている方、応援したいという方、このTシャツをご購入くださいませ。この危機を乗り切る、大きな力になります。

春日太一(時代劇・映画史研究家)

公開中!ぜひ劇場へ!と、みんなが心から言える日が、一日も早く戻って来ますように

川上拓也(録音技師)

映画は製作して終わりではなく、観ていただくみなさんによって映画は完成となります。 その場所となるミニシアターは、作る側と観る側の架け橋となる大切な空間。 また、映画は観た方々に愛され、育まれる場所です。 たしかに最近では、手軽にスマートフォンやパソコンから、インターネットで映画を観ることもできますが
みなさん、今だからこそ思い出しませんか?
ミニシアターでその映画を観た時代、季節、空気、匂い・・・
一人で?恋人と?親友と?家族と?・・・
そのすべてが詰まって、いつまでも心にとどまっている映画が、みなさんの中に数多くあることを。
そして、そこに集う映画を愛してやまない人たちが交わる、かけがえのない場所がミニシアターであることを。

今この困難を、関西のミニシアターのみなさんが一丸となって立ち向かい、乗り越えようとしています。
Tシャツの背中には、関西で愛されつづけているミニシアターの個性あふれるロゴたちがひしめきあっています。

関西だからこそ成し遂げられるこの連帯感!本当に圧巻されます!
Save our local Cinemas!を心から応援します!

康成虎(映画製作工房シネマヤ アソシエイト・プロデューサー)

実は僕が映画制作や配給に携わるようになったきっかけは、元町映画館さんからの1本の電話でした。
2014年3月、今はなきオーデトリウム渋谷で始まった『劇場版 テレクラキャノンボール 2013』のムーブオーバー上映が終わった頃、僕宛に「関西での上映は決まってますか?」と、直接電話をもらったのです。
決まってるも何も、僕はAV監督です。
最初は「ん?」って感じでした。
そもそもテレキャノ2013は、内容も内容ですし、映画でもありません。
もし、東京以外で上映するなら、限られたイベント上映だけだと思っていました。

しかし、その直接の電話で、地方公開におけるルールや慣習などを聞き、ちと思うことろがあり、
「それなら素人の自分が、ルールにとらわれず、バカなふりして自分で配給しよう」と思い、
テレキャノ2013の無計画な劇場公開が始まりました。

そんなテレキャノ2013が縁で、元町映画館さんを始め、多くの関西ミニシアターさんの方々とのお付き合いが始まりました。
また、テレキャノ以降も、映画ともいえないような映像をスクリーンにかけていただきました。
あまりお客さんを呼べず、逆に迷惑をかけたこともあります。
それでも僕や僕の仲間を一瞬、監督気分にさせていただいた嬉しさや興奮は、忘れられません。
どうしてくれましょう?

僕は、映画館が好きです。
映画館で泣いたり、笑ったり、感心したり、びっくりしたりするのが好きです。
大きなスクリーンとクリアな音響は、いくら優秀なモニターをもってしても、家では体験出来ません。
また、見る映画によって、劇場の外に出た瞬間、どよーんとしたり、肩で風を切ったり、
いつもの街なのに違って見えたり、そんな時間や感覚が好きです。
(たまに、なんじゃこらってゆうのもありますが)
そんなこんなを含め、今、この映画館存続の危機を乗り越えるべく、このプロジェクトを応援します。
また、とんでもない映画が、安心して見られる日まで、みなさまの力を貸してください。

カンパニー松尾(AV監督)

学生時代を関西で過ごしていたとき映画に出逢わせてくれたのが、その土地その街のミニシアターでした。
京都・九条の東寺のわきを夜闇にまじって通う、京都みなみ会館。
スクリーンに映されるヌーヴェル・ヴァーグの映画から、日本の新しい才能。月毎のスケジュールの隙間に見逃せない、次はなにがくるのかという身構え。
大阪・九条の商店街をくぐり通う、建築様式から非日常に飛び込むようにしてシネ・ヌ―ヴォで観た映画の数々。土本典昭や小川紳介の特集、上映機会がなかなか日本に訪れないロシア、東欧、中国の映画の、夜を徹しての特集上映…。
神戸・映画資料館や元町映画館で組まれた個人映画や実験映像の特集上映、監督を招いてのトークやディスカッションでの濃厚な時間。

ただ待っていれば機会が訪れない出逢い。
私達から遠く深く離れた時代、国、人間の精神とを、映画でつないでくれるそれらの経験は、ミニシアターの叡智と長い地道な努力とによるものでした。
ひとと映画との出逢いの飛距離や持続を、時代趨勢や流行のみでなく、シアターの創意でいくらでも伸ばしてくれるということ。
いつしかその夢中になった経験は、自身がつくった映画をここで上映したいという夢に変わっていきました。恐らくそうした何人もの何十年にもわたる夢を、つないでくださっているのが、映画館という場であると思います。

日本には、世界には、これからもこれらの映画館が一館も変わらずあり続けてほしいと思います。

木村文洋(『息衝く』監督)

このTシャツを着て、映画館に行く日。受付を通るとき、シャイな性格の私も、自分の気持ちを、着ているだけで伝えられるだろう。そして東京で映画に行く時にも、銀幕を見上げる薄闇が、かの地ともつながっていることを、どこかで意識できるだろう。
誰はばかることなく、その日を迎えられることを祈ります。

切通理作(批評家/映画監督)

映画を撮っています。
神奈川で育ち東京に住んでいる私は、自作を撮るまで首都圏以外の映画館との繋がりは全くありませんでしたが、
2本撮った長編の上映で京阪神のさまざまな映画館(その周りのお客様含めたたくさんの方)にお世話になりました。
自作の上映前後の時間、また、そのほかの「余白」で得られた喜びは他では得難いものでした。

と、同時に「映画館」は私にとって一人になれる場所でもありました。
しくじってしまったときや八方塞がりの辛い気持ちのときに、映画館で映画を観たことで救われ、人生を続けていこうと思えた瞬間が少なからずともありました。

大きな流れのなかで歩幅を合わせて「賛同」の声をあげることが難しい人、経済的に支援が難しい人もたくさんいると思います。
この呼びかけとは相反してしまうかもしれませんが、経済的な協力はできずとも自分が思い入れのある映画館に、一言、応援の言葉をかけるだけでも何かが変わるかもしれない。
個人と個人(特定の場所)との繋がりが、未来に繋がるかもしれません。
この言葉が運動の一助になれれば、という気持ちと同時に、ひとりでも多くの「だれか」が、自分と自分の大切な場所のために出来ることからやろう、と思えるその背中を押すことができればと思います。

この灯が無くなってしまったら?想像ができない事態です。
私も、自分が出来ることから頑張ります。

草野なつか(映画監督)

映画館がなくなれば私たちの存在意義もなくなる。そう思いながらこれまで空族は活動してきました。そして今回ばかりは本当にヤバい!どうすればいいですか?!分かりました!こんな時こそ京都みなみ会館、吉田さんデザインの劇場応援Tシャツを買うことで私たちはチョッケツできる。そして、事態収束の暁には、このTシャツを着て再び劇場のスクリーンの前に集まりましょう!

空族(映像制作集団)

私が初めてミニシアターという場所に足を運んだのは18歳の時でした。そして、そこで得た映画体験は現在も作品制作の源になっています。 大学進学で京都に移住した時、関西に素晴らしい映画館がいくつも存在していることにとても驚き、嬉しく思ったことを覚えています。中でも、京都みなみ会館さんのオールナイト上映は本当に楽しかった。深夜にも関わらずいつもひそやかに賑わっていて、観に来た見知らぬ人たちと特別な何かを共有している感じ…あの体験は忘れることが出来ません。 大学卒業後、私が卒業制作で監督した映画、『オーファンズ・ブルース』はありがたいことに全国のミニシアターを中心にたくさんの劇場で上映して頂きました。
関西圏では特に、神戸・元町映画館さんでインタビュー動画を収録して頂いたり、大阪・シアターセブンさんでは作品の感想が書けるブースまで作って頂いたりと、上映だけに限らず様々なやり方で作品の公開を盛り上げて頂きました。
そんな映画愛に満ち溢れた劇場の方々から私たち作り手は多大な恩恵を受けて、観客の皆様へ作品を届けることが出来ています。

ですが今、その大切な場所が失われてしまうかもしれない危機に瀕しています。
大きな劇場ではなかなか観られない多くの邦画や海外の作品を観せてもらい、そしてその映画体験は間違いなく私たちの心に豊かさを与えてくれました。
だから私は、一観客としても作り手としても少しでも力になりたいです。同じようにそう思っている方々にも、このプロジェクトを通してご協力をして頂けたらと強く思います。
どうか、どうかよろしくお願いします。

工藤梨穂(映画監督)

僕の初監督作品「腹舞台はブロードウェイで!」でお世話になった関西のミニシアターが自粛要請となりました。
ミニシアターの流通と大型映画館との流通は大きく異なります。そしてミニシアターから新しい文化、作品が生まれてきます。日本の文化芸術維持のため、是非とも応援ご協力よろしくお願いいたします。

倉田操(俳優/演出家/映画監督)

「映画は、価値観のリセット」 我々は、親のしつけや学校教育を受ける中で、知らず知らずのうちに、
自分の価値観が作られていきます。
何が正しくて、何が間違いか。幸せと不幸。良い人・悪い人。
映画は、自分は体験することのできない
様々な人生や価値観に触れることで、
そのような自分で作り出した価値観の檻の中から抜け出せるのです。
そのような映画に触れることができる映画館を守ることが
社会の豊かさ、人生の豊かさにつながると信じています。

小池陽人(大本山 須磨寺 副住職)

このTシャツを僕は着る。妻も着る。家族も着る。このTシャツは映画への愛。愛の表明。それがコロナを吹き飛ばす。がんばれ映画館!

小路谷秀樹(『虚空門GATE』監督)

毎日、考えています。この先、どうなるんだろうと。
毎日、思ってます。自分に何が出来るだろうと。
これまで映画作りに携わってきた中で、楽しい思いをたくさんさせていただいた映画館やスタッフの方々に、自分なりに出来る事は、SNSを通じて応援の声を上げるくらいなのか?
そんな思いに駆られる毎日の中で、このプロジェクトを知らせていただきました。
元町映画館さんでの「スモーキング・エイリアンズ」舞台挨拶の時に長々と関西、とりわけ神戸での映画館にまつわる思い出を語りました。
先月、ライブに出演した時、その場にいたお客様から話しかけられて、映画館にまつわる話で盛り上がりました。
思い出を繋ぐのは映画だけじゃなく、映画館があってこそと改めて思いました。

映画館がなくなるというのは、とてつもない損失です。自分は普段、ピンク映画をメインフィールドにしていますが、これまで幾つかの閉館に呼ばれて立ち会ってきました。そこでお客様から聞いた喪失感に満ちた声は忘れる事は出来ません。もう、聞きたくないというのが正直な思いです。
だからこそ、このプロジェクトにも少しでもお役に立たねば。

と、真剣に考えているわりにやってる事は、コロナを祓う妖怪アマビエのコスプレネタをやって失笑をいただいているわけですが、そういう応援スタイルもあるわなと優しく見逃していただきたい(笑)。

とにもかくにも、今出来る事を全力でやりましょう。やったりましょう!

小松公典(脚本家)

映画は街の中にあるものであってほしい。
いつも暮らしている街で、休日に足を伸ばして出かける街で、旅先の街で、
毎日、誰にでも開かれている映画館があるのは幸せなことだったんだと、今になって実感しています。
また、作品が見知らぬ街に運ばれて、届かなかったかもしれない人に届く喜びは、何にも変えられません。上映活動は時に苦しいですが、そんな声に支えられて、また誰かに届けたい、つくりたいという気持ちが湧いてきます。
映画が街の中で出会えるものとして、その場所を守り続けてくれた映画館に感謝しています。
これからもその場所があり続けるように、このプロジェクトを応援します。

小森はるか(映像作家)

大阪には、写真専門学校に通うために、2年くらい一人暮らししていたことがある。そのとき関西の映画館にはとてもお世話になった。。
ぼくは、シネコンで上映されるような大作映画ではなく、ミニシアター系の、個人が個人のちからの限りを尽くしたような映画にシンパシーを感じているので、そうした映画が上映される映画館がとくに好きだった。。
それが、今、いっせいに危機状態にある。。。

映画によって養われるものは、未知の世界との出会いを喜べるこころなのだ。。
それは、映画館という空間で、孤独を噛みしめながら観ることで、えもいわれぬ形でいっそう育っていく。。。

絶やしてはならない。。
決して、絶やしてはならない。。。

そのためには、具体的に、「金」がいる。。
どうかみなさま、ご支援ください。

齋藤陽道(写真家)

テレビ業界からはじき出されて、映画という場へ私が場を移した2004年から17年間、3つの作品で関西のミニシアターにはお世話になってきました。
デビュー作「ライファーズ」では、東京の劇場が決まる前に、真っ先に手を挙げてくださった第七藝術劇場。
続いて、開館とほぼ同時に上映してくださった京都シネマ。
駆け出し監督の私に、「次の作品も楽しみに待ってますからね!」と声をかけてくださった支配人さんたち。思い出が尽きない数々のミニシアターで、この2月から新作の「プリズン・サークル」を上映していただき、満席立ち見にもなり、やっとほんの少し恩返しができたような気持ちになっていた矢先の、未曾有の事態。
誰もいない、空っぽの劇場。
それでも、日々、お客様を迎えるために、せわしなく動く劇場職員。
流れ続ける映画。
想像するだけで、胸が潰れます。
シネコンでは見られない、多様で、規模も様々な映画たち。
観客とのやりとりもダイレクトな舞台後のイベントやサイン会。
そこで出会った方達との繋がり。
映画を作る私たちにとっては、映画を見せる以上の空間であるミニシアター。
なんとか続けて欲しい!
いや、続けてもらわないと困ります。
皆さん、Tシャツ買ってください!
可能であれば、シアターのメンバーになって、支えてください。
それぞれは微力でも、微力がたくさん集まれば、少しは支える力にはなるはず。
どうぞ、よろしくお願いします。

坂上香(『プリズン・サークル』監督)

国家は私たちを救わないどころか、救えないとわかった以上、私たちは自身を自身の力で支えるしかない。作り手、観客、映画館、その三者は互いにフェアで、誰が偉いということではない。特に、私たち製作者は、無観客はありえないし、銀幕がなければ、それこそ日常ごと奪われたようなものだ。私たちのしごとは、自分の中に他者の居場所をさがすこと。他者、そして他者が集う場所なくして、ありえない。興行成績の地域区分は、どうでもよく、映画はいま、撮影も含め地方のものである。いまの映画業界は、映画館で働く人たちの切迫感も、わかっているくせに不感症を決め込み、これまた国家同様、クズだ。この状況下、エンターテインメントは不要不急にカテゴライズされているが、
いつか、映画がなければ、生きていけないような時代を作りましょう!
そのために、私も、このプロジェクトの構成員として、その一翼を担います。

阪本順治(映画監督)

2020年4月4日。この日は、僕の監督した作品の大阪上映の初日だった。予定していた友川カズキさんの舞台挨拶は中止になり、告知なしで、代わりに僕が挨拶することになった。
自粛要請中にも関わらず、劇場には19人のお客さんが観に来てくれていた。感謝しつつも、お客さんへの感染が気になって、「どうか死に損なって、生きてください」と短すぎる挨拶を締めた。
上映後のロビーで、転職30回、今もどん底だ、というお客さんが、「この映画はシュールだね」と笑ってくれた。
パンフレットとチラシに不慣れなサインをしながら、彼はこの場所が無くなったら何処へ行くのだろう、と思った。
そして、僕も。

パンデミックによる惨禍は、いまこの瞬間も多くの人の命を奪いながら、僕たちのような多数派の感性からこぼれ落ちてしまった人の居場所までをも奪おうとしている。
だから、守ろう。今も、これからも。
すべての不寛容からのシェルターとして。

佐々木育野(『どこへ出しても恥かしい人』監督)

「Her Mother 娘を殺した死刑囚との対話」を大阪アジアン映画祭で上映して頂いて以来、
関西の皆さんとは色々な縁ができました。好きなミニシアターもたくさんあります。
店主の味付けによって、それぞれの館が独特のプログラムを組むミニシアター文化は、
世の中が画一化されないための未来への希望です。
今後も色々な映画を観たいので、Save our local Cinemasを応援します!

佐藤慶紀(映画監督)

街場の映画館たちは
ただでさえ、経済的に苦境に立たされている。それなのに、まだ何者でもない映画製作者たちを
心から応援し、映画の完成、上映まで支援し続けてくれている。そんな映画館たちがいままさに
苦境に立たせされている。それに対抗する戦術、第一弾はTシャツを売るというとんでもない作戦だ。
俺らはその作戦を全力で応援せねばならない!心からの連帯を。

佐藤零郎(映画監督)

くさくさすると、だいたいいつも映画館に足を向けます。
暗闇に身を沈めて四角い窓を眺めると、いつの間にか気分も変わり表に出られるから。
「不要不急の外出自粛」とか言われたら、映画館の存在って何だとなる。
お金もないし、ネットの方が楽だし、今は安全だし。
誰かに害を及ぼす危険も避けられるでしょと。
分かります。
分かるのですが、そういう風潮が今後も定着していかないことを願います。
手のひらサイズの慰みでは、代えられない。
映画館に行きたい、うずうずする気持ちを大切にしたいです。

七里圭(映画監督)

ミニシアターの危機は、芸術文化の苦境です。
劇場は私を育ててくれる場所です。支えてくれる場所です。
そして、多くの人と繋がれる場所でもあります。
私に何ができるのか、己の今を問うています。
コロナ禍が落ち着いたら、Tシャツを着て皆さんに会いにいきます。
劇場で再会できる日のために、このプロジェクトを応援します!

島田隆一(『春を告げる町』監督)

マックス ペカス、ルイジ バチェラ、マッシモ ダラマーノ、ニコ マストラキス、レナート ポリセリ、マリオ バーヴァ、リカルド フレーダ、アマンド デ オッソリオ、ポール ナッシー、ジャン ローラン、そしてジェス フランコの作品たちが、再びスクリーンに登場する日を心より楽しみにしております。

シモーヌ深雪(シャンソン歌手/ドラァグクイーン )

みたい映画を届けたい。そして映画について観客と語らいたい。
志の宿ったそれぞれの映画館のスタッフのお顔が目に浮かびます。
自然を知り、社会を知り、人間を知りたい。こころを豊かに過ごしたい。
顔の見える、声の届く、温もりを感じられる映画館。
大切なわたしの映画館。いつまでもあると思うな映画館。
これからも命ある限り通います。応援しています。

白羽弥仁(映画監督)

関西のミニシアターに育てていただきました。救われてきました。
第二の故郷ともいえる映画館を、そして映画を、守りたいです。
愛する場所で新たな世界を見続けたいです。

杉野希妃(女優/プロデューサー/映画監督)

私は、町に、街に、映画館と川岸がないと困ります。映画館は失って痛切にわかるパブリックスペースで、令和のいまではいろいろな価値観をもった人たちが集う希有な場所です。失ってはいけないのです。

鈴木卓爾(映画監督・俳優)

コロナ禍のなか、映画館が絶体絶命のピンチである。お客が激減し、0の回も続出している。かといって「ぜひ映画館へ」と言えない状況なのが辛い。このままではコロナが去った頃には映画館も全滅している可能性が高い。一番必要なのは行政による休業補償なのだが、残念ながら彼らが動く気配は感じられない。ならば映画館を存続させるために、Tシャツだって何だって売るしかないではないか。「精神0」の公開を5月に控えている身としては、映画館や配給や製作者がみんなで生き残り、なおかつウイルス感染拡大を食い止めるための、別の抜本的方策も模索中である。その件については調整がつき次第発表します。

想田和弘(映画作家)

関西のミニシアターさんには、カメラを止めるな!や、ハリウッド大作戦上映の際に舞台挨拶をさせていただき、大変お世話になりました。
僕みたいな本編に1分しか出ていないような脇役の人間にも暖かいおもてなしをしてくださり、そして、お客様も満面の笑顔で迎えてくださいました。

地元の映画好きの方々に愛される小さな映画館、そこで上映される新人監督の個性あふれる作品、最近盛り上がりを見せていたインディーズ映画界。
こんな形で火を消したくはありません。

この状況がおさまるまで小さい映画館を存続するサポートを皆様にお願い
したいです。僕は関西で育ちました。関西の皆さんの暖かさやパワーで この状況を乗り切れると信じています。そして乗り越えたあと、また 素敵な作品に出会えるよう、何卒ご支援をお願い致します。

僕もできる限り映画界に貢献できるよう、いま自分にできることを続けていきたいです。

今はじっと耐えて、『春』を待ちましょう。
Save our local Cinemas

曽我真臣(俳優)

私は元町映画館というミニシアターに愛し愛され、今まで育ててもらってきました。
自主上映会をしたり、監督とトークショーをしたり、大学生らしからぬ経験をさせて頂きました。
この小さな劇場で出会った数々の映画と人、そのすべてに影響を受けて、私の人生は大きく変わりました。
この歳でここまで大切なものを見つけられた幸せを、毎日噛み締めています。
一人前の社会人になり、ミニシアターに恩返しする日を夢見て就職活動に邁進していますが、それまで映画館が持つかどうかわからない。この劇場がなくなってしまうと、私も廃人になってしまう。そう思ってる人がきっと無数にいるはずなので、どうか、どうか、持ち堪えてください。

高橋佳乃子(映画チア部 神戸代表)

『みぽりん』という映画に携わり、宣伝する中で幾つものミニシアターに通い詰めた。なかでも神戸の元町映画館には、連日連夜足しげく通い、その度に心震わせる熱い時間を過ごしてきた。『みぽりん』の上映が終わってからも、何度も通い詰め、変わらずミニシアターの温もりを確と感じ続けてきた。心から映画を愛し、親身に宣伝を後押しし、いかにしてこの業界を再建してゆこうかと、共に戦ってくれる仲間たち。その同士がミニシアターに居るという事。ただそれだけの安心感と心強さが、私の足をその場所へと誘うのだ。

未曾有の大惨事。この境遇を経て、幾つの劇場が残り、そうして去ってゆくのだろうか。心の拠り所を失う悲しみは、単に犠牲という言葉では済まされない。今日まで営んできた私たちの日常が、このまま失われてゆくのか、継続してゆけるのか。今まさにこの瞬間に掛かっている。すべての劇場がこの境遇を耐え抜き、変わらず存続してゆく事。それが、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有した私たちの、切なる願いである。

またいつかこの場所で、すべての人が安心して映画を観れる日々が訪れますように。

篁怜(『みぽりん』ヘアメイク)

悲しい時、苦しい時、寂しい時、死にたい時・・・私に寄り添ってくれたのは『映画』だった。
名も知らない街の人たちが、自分と同じような経験をしていたり、
違う時代を生きた人たちが、同じような想いを抱いていたり、
『映画』は『映画』を通して、私のとなりにそっと座って背中をさすってくれ
または、エールを送ってくれたり
涙をぬぐってくれたり
抱きしめてくれた。
そしてそんな『映画』は、大概は小さな映画館でかけられていて
たくさんの人を励まし、寄り添い続けていくれている。
いま、この場所で力を合わせていかなくては乗り越えられない事が起こっている。
『映画』に救われた私が少しでも役に立てるなら・・・何度でも言おう。
おそろいのTシャツ、着ようよ!

竹下かおり(女優)

大阪を拠点に自主製作映画を作る身として、関西のミニシアターは作品を作って帰るべき家であり、大阪在住のいち映画ファンとして、ミニシアターは笑い泣き驚き、人生の学びの場。
関西から映画の、映画館の火を消したらあかん。
全力サポートしましょう。
さあ、今こそ映画に映画館に恩返しや。

武田倫和(映画監督)

ミニシアターならではの楽しみがあります。それぞれの映画館独自のセレクトが気に入って通い、たくさんの出会いをいただいた。出来事の内容や精神的なメッセージであったり、俳優や出演者であったり、土地であったり。それは思いもかけず大きな広がりを生んでくれました。そう、ミニシアターは人生に大きなプレゼントを贈ってくれる脚長おじさんなのです。その活動が継続できるように心から祈ります。

武地秀実(地域情報紙「ともも」編集長)

元町映画館とのお付き合いは、2014年公開のドキュメンタリー映画「凍蝶圖鑑」から始まった。パリでのワールドプレミア後、日本公開はやはり東京からかな?と漠然と考えていた。が、夜中にふと元町映画館の赤い客席が頭をよぎった。何故だか分からない。それまで数回映画を観に行ったことがあった。淀んだ空気のない清々しい映画館だなあと感じていた。風街神戸の映画館。私のモットーである「映画はいつも風のようにやってくる」にピッタリ。よし、日本公開は地元神戸の元町映画館からのスタートにしよう。早速電話を入れた。頭のテッペンに髪のお団子をのせた林未来さんが満面の笑顔で迎えてくれた。「いやあ、あなたが支配人でしたか」「私も何者かと思っていました」昔からの友人のように屈託なく笑い合った。「凍蝶圖鑑」は初日、1週間とも観客動員数で記録を作った。それからは毎年のように新作を上映してもらっている。「徘徊 ママリン87歳の夏」「カメの翼」「神様たちの街」「女になる」「Shunji あるヘアデザイナーの物語」。「凍蝶圖鑑」を含めると6本。私は自分の作った映画をここで観るのが一番好きだ。これからもよろしく!というか、年内に新作を上映予定だ。「淀川アジール〜さどヤンの生活と意見〜」ラストカットは、新型コロナウィルスで近代文明そのものが揺らぎ始めた時代を象徴する映像となった。乞うご期待。

田中幸夫(映画監督/風楽創作事務所代表)

私たち日本人がブルース・リーと初めて出会えたのは紛れもなく映画館でした。リーの死後にブームが訪れた日本人にとって、宿命的に映画館はホンモノのリーに会える唯一の場所となったわけです。
あれから昭和・平成・令和と変わった今も、ここ関西の独立系劇場は、僕らの夢により近いところで映画と僕らを繋いで来てくれました。
近くは2018年、70年代のブーム経験世代とブームを知らぬ若い世代が満員の劇場で感動を分かち合った元町映画館の8周年×南京町生誕150年記念「ドラゴンへの道」上映。その活況は見慣れたはずの映画を初めて観る最新作のような新鮮な喜びをもたらしました。
更には、シネ・ヌーヴォではブルース・リー・マニアを集結させてのプライベート上映会(2017年)も実現。「ドラゴン怒りの鉄拳」でリーと一騎討ちを演じた橋本力さんが生前最後に立った舞台は京都みなみ会館(2016年)でした。どれもが記憶に新しいにも関わらず関西では伝説と呼ばれるものばかりです。
今、そうした我々にとってかけがえのない劇場という舞台に未曽有の危機が訪れています。映画文化を担っているのは製作者や配給会社、劇場だけではありません。今こそ我々が主体的に力を発揮して「映画は我々のものでもある」ことを見せる時です。「save our local cinemas 活動」を心から応援させて頂きます。

ちゃうシンイチー / 原真一(ブルース・リー研究家)

一館一館個性的なミニシアター。『野火』で全国のミニアターにお邪魔したときも、ひとつひとつがまったく別の魅力的な姿をしていることに驚きました。その姿同様多くの個性的な映画をふんばって上映してくださっています。ここにこそオリジナリティーあふるる文化があると信じています。
自分の映画も、ミニシアターのおかげで多くのお客様に観ていただけることができました。
大切な文化を絶やさないために、ぜひ国に補償をお願いしたいところですが、まずは今の危機を切り抜けるために
できることから。僕の方からもお願いしたいと思います。

塚本晋也(映画監督)

街の小さな映画館を守ろう。映画館は夢の世界の入り口。映画館がある街は夢がある街。そんな街に住みたいよね。

槻橋修(建築家・神戸大学大学院准教授)

映画館で僕の映画を見たAさんという若者が、手紙をくれました。 手紙には、いじめで不登校になった過去からずっと下向いて生きてたけど、
劇中のあるセリフが自分の殻を破ってくれた、ここから前に進める、と綴られてました。
とても嬉しかったです。作り手冥利に尽きます。
映画館で見てくれたからこそ、ここまで感動してもらえたのかも、とも思います。
Aさんに響いたセリフは「俺はクズじゃない!」ド底辺の主人公達が魂込めて叫ぶカット。
映画館で最初に上映した時(編集で何度も見てるのに)想像以上のパワーを持ったシーンになっていると感じたことを覚えています。
TVやスマホと違って、映画館は、映画に包まれる空間。
だから、映画館で見る映画は “強い”。
映画は映画館で見るのがベストなのは間違いないです。

今、コロナのせいで、多くのミニシアターが存続の危機に瀕してます。 ミニシアターは、「そんなに売れないかもだけど誰かに響くはず!」っていう小さな映画でも、
その価値を信じて、独自の視点を持って上映している映画館(と僕は解釈してます)。
もしこういう映画館がなかったら、僕の映画がAさんの心に届くこともなかったはず。
そしてそういう出会いが他にも無数にあるはずなのです。

だから、映画館が、ひとつでも消えて欲しくない。
暗闇で映画に包まれる空間を、ひ孫の代にも残したい。
僕は「Save our local cinemas」を、応援します。

今、コロナで撮影延期になってしまった次回作の脚本を練り直しています。
映画が完成したら、また、あの町のミニシアターでも上映したいなあ。 そしてまたAさんにも、映画館で見てほしいと思うのです。

土屋哲彦(『闇金ドッグス』『RUN!-3films-』監督)

劇場の支配人さんはじめスタッフの皆さんの映画を愛するまなざし、そして笑顔が思い浮かびます。
『Every Day』はそんな皆さんの愛情と共に、お客様のもとへ送り出していただきました。
しかし、今は耐えるとき。
またいつか穏やかな日常が戻った時、僕はこのTシャツを着て、
「ただいま」と関西の劇場にも新作を届けに帰ります。

笑顔で再会しましょう。
Save our local Cinemas

手塚悟(『Every Day』監督)

映画館は映画たちの「家」であり「居場所」です。東京で配給をする身としては、そんな場所がなくなってしまうとしたら悲しすぎます。京都ではこのおうちにお世話になれる、大阪ではここにお邪魔できるし、兵庫ではここで時間を過ごせる…といったように思いを巡らせて安心できるからこそ、次の映画を配給することができるのです。だから全国のみなさん、是非ともサポートを!

土居伸彰(アニメーション研究・評論/株式会社ニューディアー代表)

いつもこだわりの映画セレクションを届けてくださりありがとうございます。
作品の一つ一つを大切にし、映画愛たっぷりの映画館スタッフの皆さんに、インディペンデントの作り手としていつも支えられております。 様々な世界観や価値観と出会える映画館は、刺激と新発見が詰まった独特な空間です。本来ならば国が守っていかなければいけない文化です。 人と人の繋がり方が試されている今、集いの場の尊さを痛感しております。自分には何ができるだろう、と考えます。生活の中で、撮影現場で、映画館で生まれた繋がりを大切にする事から始めたいと思います。

現場から劇場へ、愛を込めて。

戸田ひかる(映画監督)

映画館は世界の広場。
この広場にみんなで集まる日が一刻も早く来ることを祈ってます。

豊田利晃(映画監督)

これは、未来の子ども達に映画文化を繋げるプロジェクトでもあります。
このTシャツを着て「あの時は大変だったね」と、いつもの劇場で笑いあえる日を迎えたい。
ぜひ皆さまの支援をお願いいたします。

鳥飼りょう(楽士・サイレント映画伴奏家)

兵庫県出身で今は東京に暮らす、映画好きのぼくはいつも思うのですが、
世間で都会と言われている関西も、やっぱりひとつの地方なんです。
だから、東京のように好きな映画を自由に観ることがなかなか難しいのですが、
それでも、選びぬいた良質な映画を関西に住む映画ファンに届けてくれているのが、
ここに挙がっているような、素晴らしい選球眼をもった映画館のみなさまです。
個人的にも、グザヴィエ・ドランのトークイベントに呼んでもらって
神戸に帰ってきたときの、元町映画館のみなさまの熱い気持ちを忘れたことはありません。
関西の文化の芽をつむわけにはいかないです。応援します。

中井 圭(映画解説者)

好きな時間に、好きな劇場で、好きな映画を観る。
世界に誇れる日本のミニシアター文化をこれからも大切にしたいです。

中村公彦(映画監督)

このTシャツの座席には誰も居ないです?

いいえ。

私には、映画館でよく会うお顔ぶれや、私たちの背中をこっそり見守るスタッフさん達が見えます。満を持して上映を待ってる映画でスクリーンにあかりが灯っています。
想像してみてください。
日頃より映画を大切にしてくださっている皆様、この席でどの映画を観ましょうか。

次の機会には、現実の席に座って人生のほんの一時を共に豊かに過ごしましょう。
楽しみに待っててくださる皆様と、映画作りに希望を与えてくださっている劇場の皆様に感謝と愛を込めて!
#SaveOurLocalCinema

並木愛枝(俳優)

ひょっとしたら関西の映画ファンの多くは、京都・兵庫・大阪にそれぞれ個性的なミニシアターがあることの本当のありがたみを、この今世紀最大の危機になって、ようやく気づけたのではないだろうか。少なくとも僕はそうだ。ミニシアターを見殺しにした後の世界は、味気なさ過ぎて想像するだけで死にたくなる。まずはウイルスから生き残ろう。僕はその先も楽しく生き残りたいから、ミニシアターを支援する。

西尾孔志(映画監督)

ドキュメンタリー映画の歴史は、いつもミニシアターと共にありました。
知られざる隣国の歴史、ある個人の私的な秘密、民主主義を願う声。世界の表情を、その思いを、スクリーンを通して他者と共有し、個人の中で昇華することのできるミニシアターの「場」としての存在は、寛容さが失われて久しいこの現代において、益々重要さを増しています。その「場」がこれまで保たれてきたのは、映画を愛してやまない、スタッフのみなさんがそこにいてくれたからです。
映画を愛する者たち全てで、その「場」を守らないといけない。失うわけにはいきません。私たちが、ミニシアターにお返しをする番です。共に応援しましょう。

西原孝至(映画監督)

私が主演させていただいた映画『審判』(ジョン・ウィリアムズ監督作品)は、フランツ・カフカ原作の非常に文芸色の強い、アート作品でした。
エンタメ映画隆盛の時代において、この作品の価値を理解していただき公開してくださった映画館こそ、
神戸元町映画館、シネヌーヴォさんでした!
今でもその感謝の念が消えることはありません!
自分の映画をかけていただいたからというだけでは決してなく、このそうそうたる関西映画館は
日本の文化の一翼を担っていると思います!
日本の文化の灯を絶対消さないためにも私は微力ながら応援させていただきます!

にわつとむ(俳優)

映画館は私にとって最後の居場所でした。
もう30年ぐらい前、間違えて物理学専攻で大学に入ってしまった私は、 最初の一週間で悟りました。ここは私が居るべき場所ではない、と。
単に理系の過酷な授業についていけなかっただけですが、それからの1年間は学校にほとんど行きませんでした。
そんな時、こんな私でも生きていていいんだと思わせてくれたのが映画館、特にミニシアターや名画座の存在でした。
そのまま自然と映画館で仕事をするようになり、その延長線上で今は小さな映画を生み出す仕事を細々と続けています。

大人になって海外に出る事が多くなり、各国の映画事情を見ていると日本のミニシアターや名画座、そしてそれに伴う映画の配給宣伝の構造が、とても奇跡的なものであることが分かってきました。
ほとんど行政の支援を受けることなく、大企業が慈善事業でやるわけでもなく、民間の小さな力が集まって、ここまで活発に活動が続けてこられたことは、私達が誇れる文化だと思っています。

そんな、私にとってとてもとても大切なミニシアターの文化が、今、絶滅の危機にさらされています。
若い頃しばらくミニシアターのシビアな現場にいた経験から、今どれだけ各劇場が苦しみの中で喘いでいるか、分かります。
文化には、もちろん新陳代謝が必要です。でもそれは今回のような形で全て焼け野原になるのを何もせずに見過ごすこととは別の話です。

最終的には国の補償が入るべきですし、そうでないと映画館に限らずありとあらゆる文化が死んでしまいます。
この緊急の支援プロジェクトは、それを得るまでの間のつなぎの資金だと認識しています。本格的な救命隊の派遣を引き続き訴え続けながら、みんなで少しずつお金を出し合って、大きな流れに流されてしまいそうな映画館に救命ロープを投げる。そんなイメージでこのプロジェクトに賛同します。

嵐が過ぎ去ったあとに、また映画館のロビーでわいわいと話し合いましょう(館内に声が響かないように気をつけながら)。
そんな私達の居場所を、なんとか今、みんなで繋ぎ止めましょう。
多くの方に共鳴していただけることを願っています。

秦岳志(ドキュメンタリー映画編集)

20代のとき、それまでたいして観てないくせに、『映画好きです』と、ハッタリをかまして、京都の映画館に就職しました。
おかげで、たくさん映画を観て、それが今、私の血や肉になっています。
映画という娯楽を失えば、心は死にます。
死にたくない、死なせたくない。

また映画館の暗闇の中で世界の豊かさに浸れる日が来ることを、切に祈ります。

花房観音(小説家)

神戸に3年暮らして、京阪神の個性豊かな映画館の人たちと笑いながら語らったことは素晴らしい思い出です。
ここには守るべき文化があり、その人たちの暮らしがあります。応援しています。また、映画を見に行きます。

濱口竜介(映画監督)

ピンク映画の監督だった私の初めての一般映画を上映してくださったのがシネ・ヌーヴォさんでした。京都シネマさんは私の特集上映を企画してくださって、最新作の『雪子さんの足音』で元町映画館さんを知りました。各館とも映画をかけがえのない文化と捉え、たとえ儲けにならなくても「今、上映する必要のある映画だ」との強い信念の中で私の作品を上映してくださったことに私は心からの感謝と誇りを感じています。
映画を観客に繋いでくれる映画館こそ決して無くしてはならない文化です。
映画の未来の為に、そして、私たち作り手がまた皆様と出会えるために、心から応援します。頑張りましょう!
頑張ってください! 私たちは運命共同体なのですから。

浜野佐知(映画監督)

映画が好きだ。
映画館で映画を観るのが好きだ。だから、
映画館がなくなると困る。
文化芸術は不急かもしれないが、不要では決してない!
むしろ、人間にとっていちばん大切なものと言ってもいい。
もちろん、こんなことで映画はなくならない。だから、
映画館もなくなってもらっては困るんだ。

春岡勇二(映画評論家)

映画館は、ただ映画を上映するところではありません。
映画館は、映画を通して語られる世界の文化や思想、社会を私たちに伝え、気づかせてくれる場所。
家族や友人との再会、新たな人たちとの出会いや考え方の交流を生んでくれる場所。
その文化的な場所が、そこにあり続けることの貴さを今深く感じています。
私たちの生活と、文化は地続きです。
文化を守ることは、私たちの生活を豊かにすることに繋がります。
できることからでいいと思います。
みんなで、少しずつ力を出し合って、文化の火を灯し続けましょう。

春本雄二郎(映画監督)

映画館のある街のすばらしさは、その街の人にしかわからない。
映画館がない街の寂しさは、それを失ってみてからしかわからない。

平田オリザ(劇作家・演出家/青年団主宰)

僕は大阪で生まれ、親戚の多くが関西に住んでいる。
だから映画公開時の関西ツアーは、毎回とても重要な経験になる。
ルーツをめぐる旅、と言えるかもしれない。

終末ネタのSF哲学映画ばかり撮ってきたが、現実がそれを超える状況になった。
とはいえ僕は、これからも、旅をやめるつもりはない。
いつかまた、ルーツをめぐりながら、新しい出会いを探しに行きたい。

映画館がなくなることは、親友の死に似ている。
できればもう二度と、経験したくない。

Save our local cinemasプロジェクトに賛同します。

福島拓哉(映画監督)

大きな劇場で自分たちの映画がかかることを嬉しいと思わない映画関係者はいないと思います。
でも大きな劇場だけで映画が上映されていると、映画はとても抽象的なものになってしまいます。
観客も作り手も、お互いの顔が遠く隔たってしまい、まるでそれぞれが架空の存在であるかのように錯覚をしてしまいます。
ぼく自身が、あちこちのミニシアターで感じたことは、映画には実は手触りと厚みがある、ということでした。
上映後の客席との対話やロビーでの雑談(あるいはその後の飲み会!)を通じて、映画というのは単なる視聴覚器官に供される快楽であるだけではなく、そもそも人々の生きる営みである、ということでした。 映画制作の裏側を知ることは、人が「工夫をする生き物」であることを再確認させてくれます。
劇場の番組編成によって、それぞれの映画は新たな輝き方を身にまといますし、それぞれの映画館の立地が鑑賞体験に奥行きを与えてくれます。
もちろん写真やサインを通じてその場所に共にいたことを記録すること、それらもやはり人の営みです。
そういうことのいちいちを近い距離でおしゃべりをしながら再確認する作業は、まさに映画作りそのものです。
観客と作り手、双方が顔を取り戻し、映画に手触りと厚みを与えてくれる、それがミニシアターという場所なのだと思います。
ヌーベルバーグが路上での撮影を通じて映画を再発明したように、ミニシアターは映画館も路上であることを発見することで、映画を再発明したのだと思います。
ここがなくなってしまったら、映画はそれこそ人生とは無関係の単なる気晴らしに堕してしまうかもしれません。
そうなれば、映画が滅ぶまではあっというまです。
ぼくらが人々の営みとしての映画の時代を生き続けるためには、ミニシアターがなくなってはいけないと、ぼくは強く思います。

古澤健(映画監督・脚本家)

映画のない人生はもちろん、映画館のない人生も考えられない。
地域に灯る映画の光を絶やさないために

堀口徹(近畿大学建築学部准教授)

映画は製作者にとって、自分の子供のようなものだ、とよく言われます。けど、製作者と観客の間には大きな川が流れているので、子供が川を渡るのは容易ではありません。そんな時、いつも橋を架けてくれるのが映画館なのだと思います。今、川が氾濫し、橋が押し流される危険が迫っています。しかし、橋を補強すれば、押し流されることなく持ちこたえてくれるでしょう。私たちが作った映画が、無事、川を渡って皆さんのもとに届き続けられるように、映画館を応援してください。私も応援します。

本田孝義(映画監督)

僕の故郷(五島列島)には映画館が無い。初めて映画館に行ったのは中学一年生の時。
真夏、父に連れられて島を出て長崎に行った時だった。
初めて入った映画館はヒンヤリとしていて、暗くて、静かで、、、あっという間に田舎の世界しか知らなかった僕を別の世界に連れていってくれた。
あの経験が一人の人間の世界と価値観を変えた。
そんな場所を、ただの一つでも無くしてはいけない。頑張ります、頑張りましょう。

松浦 慎一郎(俳優)

ど田舎から福岡の中心地にある高校に通い始めたけど、
まったくなじめず 競艇場の前にあった映画館に入って
3時間もある長編の映画を見た。
そのまま午後に学校に向かっていたら警察官に補導されていた。
競艇場に行っていたんじゃないかとあらぬ疑いがかけられた。
見てきた映画の内容を警官に伝えると、高校には報告されなかった。
あの頃から福岡のミニシアターも半分以下に減った。
高校の授業風景はぼんやりして思い出せないけど、
25年も前に見たあの映画のラストカットははっきりと覚えている。
あれからなにかと映画にすがりついて、甘えて生きてきたけど、
このまま恩返しもできないまま別れることには避けたい。
新しく作品を作る、お願いですからまだ間に合ってください。

松林要樹(映画作家)

まだ外国などへ行けなかった子供のころ、梅田の大毎地下劇場が私の第二の学校になってくれた。
南米など世界の遠隔地へこれまでのように自由に行けなくなったとき、世界各地から質の高い映画を届けてくれるミニシアターはインターネットよりずっと価値ある学校として機能し続けるはず。
cine de barrio(街の映画館)の灯を消してはならない。

松本健二(ラテンアメリカ文学)

世の中が壊滅的な状況となっている今、僕の唯一の心の支えと希望になっているのは「また映画をつくって、映画館で上映して頂いて、お客さんに観てもらいたい」という強い想い、願望です。

昨年神戸で『みぽりん』という自主映画を制作し、未熟な作品ながらも、地元の元町映画館さんをはじめ、関西の様々な映画館さんで上映をして頂き、どの劇場の支配人さんやスタッフさんも皆、非常に温かく、そして力強く応援をして頂きました。その中で培った経験や人との絆は本当にかけがえのないもので、これらは紛れもなく、この京阪神の地に、映画館という貴重な場があったからこそ得られたものでした。

地元の映画館が消えてなくなってしまう事、それは僕らのような地方のインディーズ映画制作者にとっても発表の可能性を閉ざされるだけでなく、お客さんの立場としても多様な作品を見る機会を失う事であり、多くの人の希望を失う事に繋がります。これは本当に悲しい事です。

こんな絶望的な状況に陥った今だからこそ、我々に辛い現実を一時でも忘れさせてくれる「映画」は、決して不要不急のものなんかではなく、生きていく上で必要不可欠なものではないでしょうか?少なくとも僕にとってはそうです。

また映画をつくりたいです。
映画館で上映して頂いて、皆さんに観てもらいたいです。
いつまでも映画館で良質な作品を楽しみたいです。

どうかTシャツご購入、映画館さんのご支援をよろしくお願い致します!
♯Save our local cinemas

松本大樹(『みぽりん』監督)

ミニシアターは日本映画界にとって間違いなく木の幹のような存在で土台となって支えてきてくれた場所です。今いる監督、俳優を育ててくれた場所が存続の危機に陥っている。
今度は自分達の番。立ち上がろう。

皆川暢二(俳優/プロデューサー)

私が監督した初めての長編ドキュメンタリー「Ainu | ひと」の劇場初公開は、神戸の元町映画館と大阪のシアターセブンでした。完全自主制作のこの作品は、独立映画館だからこそ上映が実現できました。舞台挨拶やアイヌクラフトの紹介イベントでは、映画館のスタッフの方々が総出で手伝って下さいました。チケットを受け渡す時、劇場を出る時に、来場者1人1人に声をかけるスタッフの皆さん。そんな「ひと」の温もりは、何よりも私の記憶に残っているし、来場者にも伝わっていると思います。コロナウィルスで存続危機となっている独立映画館を、応援します。多くの人の支援が結果に繋がる事を願って!

溝口尚美(映像作家)

この映画のような日々を生き抜けば、見終わったあとのお尻の痛さ以外は何も覚えていないような難解なアート映画ともまた出逢える。そう信じているからこそ今日も生きていられるんじゃないですか。

宮崎大祐(映画監督)

もしかしたらもしかしたらですけど自分たちは動物園の動物だった。そしてちょっと前に檻がなくなって外の世界に出て困惑している動物になった。
こうなったら自分のアンテナを信じて生きるしかない。昨日頭おかしいって言われたばかりだけど、おかしい頭でも信じるしかない。右か?左か?前か?後ろか?ステイか?いつまでステイか?
ただ、間違いなく映画館はいつも映画に賭けてくれた。
俺は映画館に賭ける。何回でも賭ける。

宮本杜朗(映画監督)

コロナのせいで映画館がピンチだ。深刻な事態だが、正直最初に頭をよぎったのは「過去に配給に関わった上映料は支払われるのか?」だった。映画館が倒れるかも知れない。ということは製作者や配給にも利益は入らない。つまり、ドミノ倒しのように映画全体が死ぬのである。

配信などの道はあると思うが、それでも映画は死ぬ。映画という表現には劇場体験が織り込み済みであって、配信で映画を観る時も、われわれは脳内で補完して劇場を疑似体験しているのだ(そんなことはないという人にこそ、劇場で映画を体感してもらいたい)。

映画が死なないためには、劇場に生きながらえてもらわないといけない。一度死んだものを蘇らせることは容易ではない。仮に無理くり蘇らせることができたとしても、絶対に大きなしっぺ返しが待っていることは、いろんな映画が教えてくれているのである。

村山章(映画ライター)

思えば
関西のミニシアターに座った時は、いつもシャンとした気持ちになった。
若かった僕にそこの作品群はいつも「向かってきた」
ピンピンに尖った刺激と深い温かさで楽しませてくれる映画を観せてくれた。
だからいっぱい受け止め切ろうと、いつもシャンとして観覧していた。
また、いやまだまだ、あの気持ち良さを体験させて欲しい。
絶対にまた行きたい

元木隆史(映画監督)

映像と映画の違いは何か。映像はモニターで見る。映画はスクリーン。周囲は暗い。そして多くの人がいる。誰かが小さく笑う。誰かが嗚咽する。誰かが吐息をつく。それをすべて含めて映画。僕は映画が好きだ。映像ではない。映画を作りたい。映画を観たい。絶対に劇場をなくさない。

森達也(『i-新聞記者ドキュメント-』『FAKE』『A』監督)

映画は音楽もファッションも世界の風景も、全てがひとつにまとまったストーリー。映画館が消え去ると、ライブ感覚で沢山の人たちとそのストーリーを共有する場が無くなってしいますものね。Tシャツならパジャマ代わりにも使えるし、購入しておこう。

安井麻人(音楽家)

地元である関西のミニシアターは、今の自分を育ててくれた場所であり、観客としても作り手としてもたくさんの思い出があります(アルバイトをしていたこともあります)。
まだ何も恩返しができていないのに、窮地に立たされていると知って居ても立っても居られない気持ちです。
シネコンでも配信でも映画は見れますが、独自のチョイスで「こんな映画もアリなんだ!」と教えてくれるミニシアターの存在がなければ映画をこんなにも好きにはならなかったし、「映画を撮りたい」と突き動かされることもなかったと思います。

今までも経営は大変だったはずですが、見て見ぬ振りをしてきてしまったことに気づかされてハッとしました。
これをきっかけにできることを考えていきたいです。
また映画館で浴びるように映画を観れる日が来るのが待ち遠しいです。

安川有果(映画監督)

TVで観ればいい、配信で観ればいいって映画はたくさんあります。
ただ、暗闇の中で対峙しなければ観た事にならない映画はミニシアターの中にしかないし、
そういう映画こそが人を変えていくんだと思う。

山岡信貴(映画監督)

独立したモノを鑑賞できる独立した場所を失っちゃだめ。
言いなりになる場所は守られるから。

山崎樹一郎(映画監督)

だから私も、感謝と微力ながらの応援を。
あと個人的には関西生まれでもあるので、
またここに、新しい作品と一緒に戻ってきたいという願いも込めて。

Save our local Cinemas

山本真由美(女優/落語家)

私が映画監督駆け出しの頃、支えてくれたのはミニシアターだった。 自分の映画を観て欲しくて、何度も舞台挨拶に立たせてもらった日々はかけがえのないかけがえのない思い出だ。観客からの得た意見や感想を次なる映画の糧にしていた。
いつだってミニシアターは独自性のある映画の味方だった。
そんな新しい才能を発見する場所を失くしてはならない。
是非、ミニシアターの存続に映画ファンの皆様、お力をお貸しください。

行定勲(映画監督)

コロナの時代にミニシアターが存亡の危機に瀕している。
もし日本にはミニシアターがなかったら、僕のようなしがない映画監督が存在しない。
自分の映画にも一般の観客に見せるミニシアターの存在がなかったら、完成とは言えない。
僕には関西のミニシアターがカンヌやヴェネツィアなどのどんな映画祭よりも重要かつ絶大的なのだ。
微力でも皆さんとこの危機を乗り越えたいのでどうぞご応援ください。

リム・カーワイ(映画監督)

大田原愚豚舎が映画を創り続けることができるのはミニシアターがあるからです。
映画を上映してくださるすべての皆さま、映画をみてくださるすべての皆さまの存在無くして、大田原愚豚舎は映画を創り続けることはできませんし、存在することもできません。
ミニシアターと映画文化を守る活動を応援します。
ミニシアターと映画文化を守る活動を応援してください。
苦難の時を乗り越え、映画を愛する皆さまと劇場でまた元気に会える日を心から楽しみにしています。

映画制作集団 大田原愚豚舎
渡辺紘文(映画監督)

コメントは続々と頂いておりますので、随時追加掲載して参ります。